最後まで「燃える闘魂」だった
昨日円楽師匠の訃報を聞いたばかりだというのに、今日はまさかこの人の訃報を聞くことになるとは思いませんでした。
「燃える闘魂・アントニオ猪木さん死去 79歳 心不全 1日朝都内の自宅で…アリ、シン、S・小林らと名勝負」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c37712c26c8a6d5c7dd7113315579e1d146aea01
「アントニオ猪木さん、「最期の言葉」動画が公開…チャンネル再開を目指し9月21日に撮影されていた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/25b90e81db636b4963bba89c1b4f8a3d22002a8f
猪木氏が難病の「心アミロイドーシス」というのを発病して闘病生活を送っていたのは知っていたし、現役時代を知っているものとしては時々YouTubeの動画を見ていて「ずいぶんと痩せたなあ」と思っていたんですよね。それでも本人は病気を治したい、と思っていたそうだし、聞いた話では回復の状況次第では来年の1月4日に行われる新日本プロレスの東京ドーム大会に呼ぶ、なんてプランがあったそうなのですが。
猪木氏はリング上でも様々な名勝負を繰り広げて、時には「格闘技世界一決定戦」と銘打った異種格闘技戦なんかも行うほど(特に1976年のモハメド・アリ戦は有名だが。今にして思うと世界チャンピオンである現役のヘビー級プロボクサーをプロレスのリングに上げるなど無茶苦茶としか言いようがないが)話題を繰り広げましたが、私生活となるとこれまたスキャンダルも多かった人ですからね。まあ考えてみれば中学2年の時にブラジルに移住し3年間苦労して、力道山にスカウトされて帰国してプロレスラーになった、という人ですから昔から「どん底から這い上がる」上昇志向があったのかもしれませんね。
同じ日にデビューしたジャイアント馬場氏も亡くなってもう23年経ちますし(ってそんなになるのか、と驚いたが)、師匠である力道山はもちろんのことデビュー戦の相手だった大木金太郎氏、先述したモハメド・アリ氏も既に鬼籍に入られていますからね。本当に当時、猪木氏とかかわりのあったプロレス界の関係者も次々とこの世を去っていますが(右腕だった新間寿氏も「ちょっと猪木、順番が違うよ」と思っているかもしれないが)、奇しくも亡くなる前日の9月30日は猪木氏がデビュー戦を行った日(1960年)だそうですが、その日から今日まで猪木氏は文字通り「燃える闘魂」として最後までいろいろな敵と戦い続けてきた人だと思いますね。
猪木氏にとっては新たな戦いの場所が待っている、ということですから、ぜひあの世でも名勝負を繰り広げてほしいと思います。
アントニオ猪木 (新潮新書) - 瑞 佐富郎
「燃える闘魂・アントニオ猪木さん死去 79歳 心不全 1日朝都内の自宅で…アリ、シン、S・小林らと名勝負」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c37712c26c8a6d5c7dd7113315579e1d146aea01
「アントニオ猪木さん、「最期の言葉」動画が公開…チャンネル再開を目指し9月21日に撮影されていた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/25b90e81db636b4963bba89c1b4f8a3d22002a8f
猪木氏が難病の「心アミロイドーシス」というのを発病して闘病生活を送っていたのは知っていたし、現役時代を知っているものとしては時々YouTubeの動画を見ていて「ずいぶんと痩せたなあ」と思っていたんですよね。それでも本人は病気を治したい、と思っていたそうだし、聞いた話では回復の状況次第では来年の1月4日に行われる新日本プロレスの東京ドーム大会に呼ぶ、なんてプランがあったそうなのですが。
猪木氏はリング上でも様々な名勝負を繰り広げて、時には「格闘技世界一決定戦」と銘打った異種格闘技戦なんかも行うほど(特に1976年のモハメド・アリ戦は有名だが。今にして思うと世界チャンピオンである現役のヘビー級プロボクサーをプロレスのリングに上げるなど無茶苦茶としか言いようがないが)話題を繰り広げましたが、私生活となるとこれまたスキャンダルも多かった人ですからね。まあ考えてみれば中学2年の時にブラジルに移住し3年間苦労して、力道山にスカウトされて帰国してプロレスラーになった、という人ですから昔から「どん底から這い上がる」上昇志向があったのかもしれませんね。
同じ日にデビューしたジャイアント馬場氏も亡くなってもう23年経ちますし(ってそんなになるのか、と驚いたが)、師匠である力道山はもちろんのことデビュー戦の相手だった大木金太郎氏、先述したモハメド・アリ氏も既に鬼籍に入られていますからね。本当に当時、猪木氏とかかわりのあったプロレス界の関係者も次々とこの世を去っていますが(右腕だった新間寿氏も「ちょっと猪木、順番が違うよ」と思っているかもしれないが)、奇しくも亡くなる前日の9月30日は猪木氏がデビュー戦を行った日(1960年)だそうですが、その日から今日まで猪木氏は文字通り「燃える闘魂」として最後までいろいろな敵と戦い続けてきた人だと思いますね。
猪木氏にとっては新たな戦いの場所が待っている、ということですから、ぜひあの世でも名勝負を繰り広げてほしいと思います。
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